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検察の恥部の可視化は拒絶する

「否認なら刑務所一直線だ」 名古屋市清掃談合の取り調べをノートに克明記録
 名古屋市発注の道路清掃事業談合をめぐり2003年、名古屋地検特捜部に逮捕された市緑政土木局の長崎弘元道路部長(59)が、08年の無罪確定後、初めて取材に応じた。部下や上司が容疑を認める中、ただ一人無罪主張を貫いた長崎さんは、取り調べの様子を克明にノートに残していた。「(認めなければ)2年半は接見なしで拘置所だ」。ノートからは、自白を執拗(しつよう)に迫る検事の姿が浮かぶ。
 最高検は3月18日から特捜部の取り調べ過程の一部の録音・録画(可視化)を試行する方針だが、「当時の取り調べを知ってほしい」と長崎さんが明らかにしたノートの内容は、今後の可視化のあり方に一石を投じる可能性もある。
 長崎さんは03年11月4日、当時緑政土木局長だった村瀬勝美さん(64)=無罪確定=とともに競売入札妨害容疑で逮捕され、当初から容疑を否認。同年12月26日の保釈まで、自白調書は一通も作成されず、長崎さんは41日間に及んだ調べの内容を大学ノート約130ページに記録していた。
 逮捕から約1週間後の名古屋拘置所内の取調室。「部下は皆認めた。全部否認では刑務所へ一直線だ」と検事が迫った。その後も「(否認していた上司の)村瀬が認めた。一人でいろ」などと、孤立感をあおるようにたたみかけた。
 きつい調べを受けたのは、弁護士の接見が認められない平日の夜や土日が多かった。
 さらに「夜、もう調べはないかなと思っていたころに単独房のカギが開き、看守に『調べだ』と言われた。取調室に行くと単なる雑談で終わった」。こうして長崎さんは精神的に追い込まれていったという。
 気持ちが大きく揺れ動いたのは、検事が退室し、立ち会い事務官と2人になった時だ。一度も話したことがなかった事務官が「おつらいでしょう。認めて公判でおっしゃったらいかがですか」と切り出した。
 「家族や仕事など、いろいろなことが去来した。胸に染みた」と長崎さん。だが「信念を曲げて仕事をしてきたことは一切ない。心当たりのないことは言えない」と事務官に答えた。その後戻ってきた検事は「あなたは人生の選択を間違えた」と吐き捨てた。
 公判では「長崎さんに予定価格のことなどを報告し、了承を受けた」とした部下の供述調書の信用性が否定され、長崎さんは一、二審とも無罪を言い渡された。検察側が上告を断念した08年12月に無罪が確定した。逮捕から既に5年が経過していた。
 復職した今も長崎さんは納得できない思いを抱える。「当時の捜査、公判は一体何だったのか」(以上(中日新聞2011年3月1日 朝刊)より引用)
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2011030102000016.html

 名古屋地検特捜部による狡猾な手口で、容疑者に自供をさせて冤罪を作り出す過程が、冤罪の容疑者の克明な記録によって明らかになった。
 大阪地検特捜部の証拠改ざん事件によって、特捜部解散が一時騒がれたが、今は喉元過ぎればなんとやらで、特捜部の「特」の字さえ出なくなった。しかし、冤罪創作の輪は、大阪、東京に続いて名古屋地検特捜部でも、同じような冤罪のでっち上げが行われていたことが明らかになった。悪徳検察官の元締めである最高検察庁は、取り調べの可視化は、調書の読み上げ時だけに限るという見解を出している。最高検察庁と言えば聞こえはよいが、最高検の検事どもは、このような冤罪創作劇を繰り返して、それがバレず出世した者の集団と考えれば、被害者の権利よりも、自分たちの利益を謀るという構図は、当然だろう。最高検の言い分では、取り調べ初期は、「容疑者との人間関係を作る」ために、それの可視化を拒んでいるが、この冤罪事件でも分かるように、「容疑者を心理的に追い詰めて、自白を得る」ための期間であることが明白だ。それを可視化して物的証拠となることを検察一同嫌がっているだけなのだ。さらに、調書読み上げ時だけ可視化ということは、被害者が調書を認めたと言う物証になり、裁判になって、容疑者が公判で調書は無効で無罪を主張した時の、反論に使われるだけだろう。
 暴力による自白強要は、傷という物証で証明できるが、言葉による暴力は、容疑者の心の傷にはなっても、物証にはならない。そのような姑息な捜査手法を防ぐためにも、全面可視化しか防ぐ方法は無い。少なくとも、検察が刑事裁判に不可欠である以上、そうする以外の方法はない。この可視化には、二面性があると考えられる。大きく取り上げられているのは、冤罪の防止だが、もう一点忘れてならないことがある。それは、本来罪に服するべき者が、検察の取り調べの不当性によって、「疑わしきは罰せぬ」の原則で無罪になっていると思われる点だ。正当な裁判により、罰すべき者は処罰を受け、無罪の者は濡れ衣を晴らすのが、裁判の本来あるべき姿だ。
 検察の取り調べの正当性の物証として、取り調べの全面可視化は必要条件だ。しかし、このような冤罪をでっち上げた検察官をほったらかしにして良いものだろうか。少なくとも、特別公務員職権濫用罪、特別公務員暴行陵虐罪、特別公務員職権濫用等致死傷罪については、死刑と同じように時効を撤廃し、容疑者の無実が確定してからでも、その容疑者の取り調べに関与した検察官、事務官の責任を問えるようにすべきだ。(No.2858)

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