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なし崩し的に取り消すマニフェスト

仙谷氏の軌道修正、形骸化批判も…次官同席指示
 仙谷官房長官は28日の閣僚懇談会で、各府省の政務三役会議に次官と官房長を同席させるよう指示した。
 事務方を意思決定の場から排除したことが官僚の離反を招き、行政の混乱や停滞を生んだ反省を踏まえて、軌道修正をはかったものだが、民主党政権が掲げた「政治主導」の形骸化との批判も出そうだ。
 「政治主導とは、事務方が萎縮したり、汗をかかず政治に丸投げすることではない。次官と官房長は、可能な限り政務三役会議に出席するように」
 仙谷氏は同日、首相官邸に各府省の次官らを集めて、こう訓示した。その後の閣僚懇談会では、各閣僚に「円滑な意思疎通と、政と官が一体となる体制の確保」を要請。記者会見では、「(民主党政権で廃止した)次官会議を復活させる気は全くないが、次官レベルの協議の場が必要なら、協議することは十分ありうる」と、次官による調整も容認する方針も示した。
 政務三役会議は、昨年9月の政権交代を受けて鳩山前政権が政治主導の象徴として各府省に設置した。閣僚と副大臣、政務官が府省の方針を議論・決定する最高意思決定機関だ。
 しかし、官僚が会議から閉め出されたことから、決定内容が府省内に周知されなかったり、閣僚の「つぶやき」を発信する簡易投稿サイト「ツイッター」で閣僚の「真意」を探ろうとする官僚の姿が見られるなどの珍現象まで起きた。(以上(2010年12月28日21時07分読売新聞)より引用)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101228-OYT1T00880.htm

 風前の灯ともなった売国奴・仙石由人が、民主党マニフェストの目玉とも言うべき、何もできなかった無能政治屋だけの『政治主導』による政務三役会議に、次官同席を指示したそうだ。
 仙石は、『政と官が一体となる体制の確保』とほざいているが、明確に『政治主導』を放棄する指示だ。無能・菅直人も、「財源がなくても、財務省に頼めば何とかしてくれる」などと脱政治主導的な発言をしている。しかし、これは、『政治主導』をほざいたマニフェストを反古にする発言だ。それも、仙石の独断で決めても良いことなのだろうか。と言っても、無能・菅直人にできる訳もないが!『政と官が一体となる体制』は、本来、国のあるべき姿であると思うが、それを否定し、民主党の政治屋を動員して全て政治が牛耳るとしたマニフェストを掲げて、政権交代を実現した以上、なぜ、政治種痘を止めなければならないか、明確な説明が必要だ。しかし、売国奴・仙石由人も無能・菅直人も、国民が納得するために十分な説明をしたことがない、というよりも、説明する能力が欠如しているという実績だけは順調に積み上げている。「僕がこんなに苦労しているのだから、僕が思っていることを察してくれ」とでも言いたそうだが、そのようなことが政治に通用する訳も無い。
 また、民主党執行部は、小沢一郎が政倫審出席する意志を表明したが、無条件降伏を求めている。しかし、小沢一郎の条件には、一理あると私は考えている。少なくとも、野党は、小沢の証人喚問ではなく、売国奴・仙石の問責を求めて、来年の通常国会の議論をしないと言っているのだ。小沢の問題は問題として、別次元で直近に迫った問題である売国奴・仙石由人と馬淵澄夫の更迭こそ、通常国会前までに菅無能政権がやらなければならないことではないだろうか。敬称略(No.2805)

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コメント

徳之島が断り、移転先放浪の旅が始る。平野官房長官が鹿児島県の徳之島の町長らに密使を送って、すでに断られていたことが判明したので、おそらく移転はできず、結局米軍からせっかく返還合意にこぎつけた普天間問題は、水泡に帰す可能性が高い。

無哲学・能天気では効果的な政治はできない。
総論賛成・各論反対の攻撃に会い、適当な現実対応策も探し得ずにこの世の中を放浪する。
山本七平は、自著 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> の中でスローガンに踊らされる日本人の姿を以下の如く描いています。

、、、、、同じアジア人で共に非キリスト教徒だという日本が、しかも彼らを米国の支配から開放するために来たはずの日本軍が、このモロ族にまず叩かれ、最後まで彼らを見方としえなかったこと、そこには、考うべき数々の問題がある。そしてその問題は、浮ついた「同文同種」「アジアの解放」「東亜新秩序」「共栄圏」等の一人よがりのスローガンがいかに無意味で、自己を盲目にする以外に何の効用もなかったことを物語っているのであろう。(引用終り)

政治哲学があれば、次々に現実対応策が出てくる可能性がある。
 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れる。その一例を以下に掲げる。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2010年12月29日 (水) 10時07分

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